宇佐八幡宮

宇佐八幡宮のご紹介

宇佐八幡宮とは

宇佐八幡宮とは

 宇佐八幡宮とは現大分県・宇佐神宮を総本宮とする八幡信仰の神社です。八幡様は武運必勝の御神徳があると伝わり、八幡信仰の神社は全国で最も多いです。一方で「宇佐」の名を冠する神社は全国に63社しかなく、その約半数の30社は瀬戸内海に面する府県に立地しています。

宇佐八幡宮とは

 この香川県高松市香西本町に鎮座する宇佐八幡宮は、嘉禄年中(1225-1227年)創建とされ、承久の乱で武功をあげた香西資村が宇佐神宮から勧請した神社だと伝わっております。旧笠居郷である高松市北西部の香西・鬼無・下笠居の総氏神で、北に瀬戸内海を臨み、南西には国史跡に指定された勝賀城跡のある勝賀山が聳える自然豊かな立地にあります。また、この地は香西氏の藤尾城を建立した地でもあり、由緒書きには後世まで変わることなく必ず繁栄する神を祀る所と評された地理的・歴史的要衝にあります。

御祭神

御祭神
仲哀天皇、応神天皇(八幡様)、神功皇后

 昔の天皇とその御家族であり、仲哀天皇は日本武尊(やまとたけるのみこと)の皇子で第14代天皇にあたります。その皇后である神功皇后は三韓征伐の伝説があり、その時に宿していた皇子が応神天皇になります。そのため第15代天皇・応神天皇は胎中天皇・八幡神とも呼ばれ、必勝の武神として武士から篤く信仰されています。また、海を渡った航海の神様、御家族で祀られている家族円満の神様としても信仰されています。

創建の縁起

創建の縁起

 嘉禄年中(1225-1227年)に承久の乱で武功をあげた香西資村が宇佐神宮から勧請した神社であると伝わっております。その様子は寛政四年(1792年)に新居直矩が『香西記』を記し伝えています。宇佐神宮から御霊分けされた御神輿は神船に乗って瀬戸内海を越えてきました。その時船に乗っていた一族である神高家・天雲家・田所家の三家は「神人(ジニン)」と呼ばれ、現在まで続いて秋季例大祭の神事の指揮を担っています。また、船から降りた神人を家に招き、装束直しをした溝内家は「装束家」と呼ばれ、現在では秋季例大祭の練物(獅子舞や小奴などの祭礼行列)の指揮を担っています。

宇佐八幡宮の鎮座地の変遷

 宇佐八幡宮の立地には諸説ありますが、下記のような移動があって、現在の地に鎮座しているとされています。

  • 1. 豊前国宇佐神宮から神船にて御神輿が出発
  • 2. 生島浦(宮の浦)上陸
  • 3. 壇上原にしばらく滞在
  • 4. 木ノ戸溝内家にて装束の整え直し
  • 5. 通り谷、ヒウチ坂の山越え
  • 6. 山口村藤尾の原(現在の鬼無町山口)に至りて地名を取り、「藤尾八幡」と呼称
  • 7. 火災にあい古宮古墳(現在の鬼無町山口の神高家敷地内)の位置に遷座
  • 8. 数年後、後世まで変わることなく必ず繁栄する神を祀る所とされる磯崎山(現在の鎮座地であり、前の地名の名残で藤尾山と呼ばれる)に遷座
  • 9. 1575年に藤尾城築城のため、八幡宮を上の山へ、神宮寺をその麓に遷座
  • 10. 藤尾城廃城の後、1602年に藤尾山に八幡宮、神宮寺をともに再興
  • 11. 明治時代に神仏分離のため、神宮寺が別れ、現在に至る